たとえば、花があったとします。視覚から入ってきた情報は(ハ)と(ナ)と言うコトバ(音)と結びついて外界の情報として認識されます。もし(ハ)と(ナ)の音(コトバ)がなかったら花として認識されません。
五感覚という感覚源は生まれながらにして頂いている感覚機能です。五感覚という機能だけではじつは感知は行われません。何かを感知するには感覚機能にコトバが結びつかないことには感知できないのです。
コトバ(名)は常に物である対象と結びついています。例えば
「バラ」とは「バ」と「ラ」という音
と花である薔薇とが結びついています。それが「語」の能らきです。
コトバ(名)である音は物質ではありません。
感覚にコトバが結びついて始めて認識されるのです。その蓄積によって人間らしい感情、情緒が養われていき、人間らしい感情が発露してくるのです。
又コトバ情報の蓄積によって様々な思考が可能になります。
思考→コトバ
朝起きて「歯を磨こう」と思うから歯を磨き、「朝食をしよう」と思うから食事をし、「何時何分までに学校へ(会社へ)行こう」と思うから遅れないように準備して出かけることが出来るのです。このように「何処何処へ行こう、何々をしよう」と思うから行動を起こせるのだということです。全ての行為は「コトバで思う」ことが基本にあって営まれているのです。日常生活で何げなく行なっていることは、小さい時から何度も繰り返してきた「思い、そして行う」というプロセスはそれと認識されることなく、たんなる習慣性となっています。
コトバって何?どのようなエネルギー?
もし人類にコトバがなかったらどうでしょうか?
思考することができないので他の生物とは異なる形態での人間としての社会生活が営めません。つまり人類と他生物とを分けている根本的相違点は、考えることを可能にしているコトバを持っているかどうかということなのです。