五感覚のひとつに聞くことがあります。聞くことは「鼓膜に音の振動が伝わり、耳介や外耳道で音を拾い集め、音によって振動する鼓膜の動きを耳小骨を用いて蝸牛の中へと伝え、蝸牛の中にある有毛細胞で神経パルス(電気信号)に変換して、蝸牛神経を通して大脳の聴覚中枢へと送る。尚、ほとんどの哺乳類(ヒトを含む)においては五感を司る器官の中でも、耳は生まれた時すでに成体に近いレベルまで発達している。これは、外界の危険を感じ取ったり親とのコミュニケーション(ヒトの場合特に言語)を維持・学習するために必要だからと考えられる。」
このような一般的な「聞く」ことに関する知識が有ります。
聞くことは他の五感覚器官に比べ早く機能するようになっているようです。五感覚は外界の情報を仕入れる器官ですが、言葉の習得と共に感覚機能で得た情報をより正確に多彩に緻密にインプットすることができるようになります。五感覚情報はコトバと結びついて外界情報を的確に把握できるのです。
五感覚からはいってくる情報は
聴覚→求心性可聴音波
視覚→求心性可視光波
触覚→求心性弱電磁波
嗅覚→求心性弱電磁波
味覚→求心性弱電磁波
聴覚からは求心性可聴音波という音波として入ってくるのですが、コトバと結びつくことで様々な情報を捉えることができています。たとえば鳥の鳴き声、風の音、音楽や人とのコミュニケーション、車の音など様々です。
清音51音、濁音20音、半濁音5音の76音です。この76音の組み合わせによって全ての人の思考が可能になっている。どのようなことを考えるにも、表現するにも命波音76音がなかったら何も考えられないし、表現できません。
人類の知的活動は命波音76音なしには行なうことができません。つまりコトバがなかったら何も考えることができないので、今日の地上世界はコトバの成立の上に成り立っていると言わざるを得ません。
言語の活用形態によって小田野の分類によると
発声言語=音波言語・聴覚言語
文字=光波言語・視覚言語
思考=超光波言語・識覚言語
です。音波言語言葉の読みがないと、文字も読めませんし、思ったり考えたりもできません。
基本は讀み、音です。会話やいろんな情報を得るにもまず「聞く」ことが前提になります。
聞くこと
門の中に耳が入っています。
聞くと言うことは音を耳で聞き取ることですが、字分けによる文字の意實は字の味を見ると讀取れます。音は見えないので音が現象化した「字」によって味を見ることなのだと思います。味見を続けると文字に現われた意實の讀変えから、縦の時間性が整い時空を見、ミミ三三→六ム無の味見に繋がるのだと思います。
祕められた普く負っておられる實体を見て味うとは、まさしく「字分け」のことです。
意實の讀変えが整うことは、人の情の安定です。感情的自己から観情的自己への転換、客観力が培われるので、自分の心の変化をキャッチし、情的に振り回されることが少なくなります。
子供の成長過程の
音→字→数→理
の順に意識の拡大が起こるように、概念から天念への転換も
命波音→字分け→数法則→眞理
の展開になると思われます。
意識の概念軸(語軸)から天念軸(詞軸)への転換です。
智軸転換
人の意識の軸転換は、当然地軸にも影響を与えると思います。
概念軸は人の意識の中にだけ存在し、天念、自然には存在しません。
字分けによって意實の転換は感情を客観する観情への転換、更には完情に少しずつ近づくべく
意實の更なる理解が、眞理(数法則)の精妙さを見出すことになるのだと思います。
聞くことから始まった意實の理解が、耳(味見)を徳(解く)ことで力に交わり(眞字割り)、香(加愚)を利くからこそ、体調や仕事や人間関係に効くようになり
利→ノ+十+L+理
能らきの軸を開く理(コトワリ)によって自分の愚かさを嗅ぐのです。さらに
能らかれている宇宙實親の天念軸は平面的には4つの軸の重なりで、始終→4十なの
菊の文字は宇宙の絶対無限の能らき(田→H+エ)を示されている能らきの16菊花のご紋章、
正に皇室の菊花のご紋章の形状になります。
宇宙軸は絶対電磁場です。16は英語ではPになります。Pは読みではピです。「パ、ピ、プ、ペ、ポ」の行です。
宇宙と人との親子関係です。水のことです。
菊は文字からPiピ日の能らきを示されているのです。
菊→一+リ+ノ+日→百+リ理
聞くことは菊に繋がり菊は還元音ピPi日の能らきの絶対理であり、百理は宇宙無限法則なので
菊キク己求→記工→起救→基空
という展開も可能になるのだと思います。
又「Pi 25」ピは「Y」であり「TEテ」でもあるので、親子関係はワイ和意、宇宙の子である人類にとっては和やかな心であり、宇宙實親の親心は弖(天能眞祖光)絶対なる愛のなにものでもありません。
文字を通じて聞くことが基本になり、宇宙無限法則を学び日(絶対時間)の大なる軸(十)の確立こそ、
歸空
宇宙へ帰る、命の故郷へ帰る方法なのです。